地方により、ふぐを「ふく」と呼びならわすは、縁起をかつぎたる故ならむ。
 彼の魚また、「鉄砲」と云うは、毒を秘めたるを似て、「当たる(命中)」に掛けた洒落ならむ。これ、怖るるに足らず。当時の鉄砲とは、素人技には中々あつかい難く、すなわち「滅多に当たらぬ」ものの意なり。
 空から白いものが、ちらほら舞い降りる季節に、無性に恋しくなる魚。ふぐ。値が張るからと、とかく敬遠されがちだが、ちょいと探せば安く喰わせる店は、たんとある。
 ひれ酒に始まって、刺身、白子焼き、鍋、雑炊。だんだんにヨウ温まりますなあ。
 仕舞まで、盃の手放せないほど、酒と相性のよい流れだが、中で一点、渋く底光りするのが、ふぐの皮。刺身の添えもの然として地味ながら、あれ、良いね。ふくかわ。
 さっと湯引きしたのを細切りにして、紅葉おろしとポン酢がふつうだが、塩に山葵を添えたのも、我輩的には、かなりイケる。
 くりくりっとした食感が、中途に、ふっと軽くなり、ほのかに咲いて淡雪みたく溶けて消える。ゼラチン質?コラーゲン?おいおい、良い良い。その去り際の後を縋って、ついつい未練の箸がのびる。
 ふぐの場合、酒肴としては、身よりも皮の方が、品よく感ぜられる。なにより、口溶けにともなうエクスタシー、解放感。
 皮だけ単品で、つまみメニューにある店も結構ある(しかも安価)ので、コースの重圧なしに楽しめる。味なきところに味あり。これぞ、諦めという潔さを知った大人の肴。

杉浦日向子◎文筆家。1958年東京生。江戸(前東京)の都市生活文化史を素材とする著書が多い。酒と蕎麦と公衆浴場をこよなく愛し、船旅を終生の道楽とする頑張らない、いい加減な生き方が目標。

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