1954年東京都生まれ。高校卒業後に片岡鶴八に師事。その後、東宝名人会、浅草演芸場に出演。以来テレビ界に進出し、CX「オレたちひょうきん族」で全国区の人気者に。ドラマにも活躍の場を開拓。33歳にはプロボクシングライセンスを取得。同時期に初の出演映画「異人たちとの夏」で映画各賞を受賞、役者としての地位も確立。40歳に墨彩画をはじめ、95年に初個展、98年には草津に『片岡鶴太郎美術館』が創設するなど画家としても活躍。その多芸、多才ぶりは今も健在である。
 
 40歳から墨彩画をはじめて、10年になりますが、サンマは9月の頭ぐらいに、毎年描いているんですよ。つまり10作描いてますね。ですから画集には必ずサンマの絵は載っているんです。サンマを描くきっかけになったのは、あのシャープなフォルムの美しさと綺麗な色に魅せられたんですね。それ以来、知らず知らずに旬の時期になると、サンマを描くという習慣になっているんです。構図もほとんど同じように描いていたんですけど、そうしますと、今年度描いたサンマを描き終わって、前年度の絵を見ると、やっぱり違うんですよ。あぁ一年の間でも自分の絵って変わるものだなぁ、みたいな確認ができるんです。また、自分なりの軌道修正にもなりますしね。サンマやサバ、アジ、イワシなどの青魚は、自然光にあてて、よく見ますと、七色に輝いているんですね。その色のどこをチョイスするかという楽しみがあるんで、青魚を描くのは楽しいですね。おさかなを描くのには、5時間程かかるんですけど、ずっと一緒にいると、いつもはどれも同じに見えるおさかなでも、色も模様も違くて、それぞれ個性があるワケですから、あぁこのコはホントに一尾しかいないんだなぁって、やっぱりこの自然界に2つと同じモノはないんだなぁって、その当たり前の素晴らしさに、絵を描くようになって改めて気付かされたんですよね。
 食べるのに好きなおさかなも、青魚。僕の絵は僕の好きなモノしか描いてないんです。だから青魚を描く動機のひとつとして、青魚を食べるのが好きだからという事があります。もちろん描いたあとは、ちゃんと食べてますよ。食べ方はもっぱら刺身か塩焼き。もうそれが一番です。やはり、描いたあとに食べてやると、そのおさかなと完全に同化した気になれるんですね。僕の絵を描く時の心がけとして、まず、その対象物と同化する。例えばトンボなんかでも、羽根があって飛んでるように、そいつになりきる。そして感じたまま、見たままを筆にのせる。人が僕の絵を見た時に、どう思われるかは考えない。「うまく描こう」と思った時点で、それは人に見てもらう事を前提に描いている訳で、絵の中に説明が入ってしまうんですね。そういう絵は完全に相手側にたって描いた絵であって、僕はあくまで対象物への感動を告白するだけで、それ以上はしない事にしています。演技もそうですよね。その役になりきるべきなのに、見てる人を意識してカッコつけても、やっぱりそれは違うと思うんです。
 絵を教える時にも、一貫して言うのはそういう「うまく描こうとするな」って事ですね。なりきっちゃえばいいんだよって事。それ以上知る必要はない。表現する事全てに同じ事が言えると思うんです。つまり僕の絵は最初から構図が決まっているワケではなく、アドリブ的で、思いつきな部分が多いですね。もうライブをやってる感じ(笑)。



「秋刀魚と銀杏」(C)現代映画社

撮影=岩瀬陽一
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