唐突で恐縮ですが、私の本籍は愛媛県松山です。どうでもいいことをこの際もう一つ付け加えれば、私のNHK生活は高知市で始まりました。この、初任地・高知の勤務が5年と長かったものですから、その間に、香川、徳島にも何度も行きました。要するに四国は、私にとっていろんな思い出の詰まっている特別のエリアです。今回、ひょんなことで「おさかなぶっく」という本から魚貝類に関して書いてくれませんかというお話をいただきました。それも「香川のタイラギ」について、とのご提案でした。
 まず、タイラギのお勉強から参ります。タイラギは殻の長さが30センチにもなる大きな二枚貝で水深10メートルくらいのところに生息。旬は春。貝殻の内側は暗い青緑の上に虹色がのあった美しい貝。漢字で書くと玉と王偏に兆。白川静先生によれば玉は玉のように素晴らしい、美しいの意。王偏に兆は「よう」と読み、これも美しいという意味だそうです。この、あてられた漢字の味わいの深さや貝殻の美しさもさることながら、その味がまた絶品。貝柱の刺身もいいですし、軽く炙って海苔で挟んでもいい。昔は九州・有明海一帯が一大産地でしたがその後、減ったと聞きます。今は瀬戸内、とりわけ香川の坂出、多度津、丸亀といった中讃地区が頑張っていますが、今シーズンは若干不調だそうです。
 さて。先日、私は高松のお寿司やさんで、目の前のケースにある「平貝(たいらがい)」を注文しました。板長さんは「ない!」とぶっきらぼうに答えました。いや、「ない」と言ったって、それは目の前に確かにあるのです。貝柱の大きさに微妙な違いがあるといえばあるし、そのガラスケースには貝柱だけでなく、その貝の紐や足も置かれてはいましたが、あるものを「ない!」と言われて私は一瞬鼻白みました。でもここは前述の、私の長い「四国経験」が活きました。私はすぐ「タイラギ」と、注文し直しました。板長さんは何事もなかったかのように私が直前に注文した同じ貝を取り出して、手際よく握ってくれたのでした。因みに、広辞苑にはタイラギの項に「平貝とも」とあり、明解国語辞典には平貝の項に「タイラギとも」の記述があります。「香川のタイラギ」は意気軒昂です。
まつだいらさだとも◎京都造形芸術大学教授、早稲田大学大学院・国学院大学客員教授、元NHKアナウンサー。1944年11月生まれ。早稲田大学卒業後NHKに入社。「朝のニュースワイド」や「19時ニュース」などTVニュースは15年、NHKスペシャルは各シリーズや単発ものを含めて100本以上担当。2007年退職後も09年3月まで「その時歴史が動いた」を担当。現在は「世界遺産100シリーズ」やラジオ深夜便「藤沢周平を読む」を放送中。
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