来るか来ないかもわからないものを、気長に待つ。そんな気の遠くなるようなこと、とてもじゃないけどできない。だから釣りは自分の性分に合わない、そう思っていた。
 何年も前に、堤防釣りに誘われて行ったことがある。まったくの初心者であったわたしは、せめて気分だけでも・・・と、家にあったポケットの沢山ついているチョッキと麦わら帽を被り、「釣りキチ三平」を気取って出かけた。
 釣り場で待ち合わせた友だちに、釣竿の使い方からエサの撒き方まで手取り足取り教えてもらう。友だちはジーンズにTシャツ。側から見れば、さぞ滑稽だっただろう。いわゆる「釣り人」の格好した人間がジーンズ姿の人から釣竿の上下の向きから習っているのだから。
 エサを扱う段になって、友だちは不安がった。
「青虫が嫌かもしれないけれど・・・」
 と。しかし、わたしが心配なのは青虫より自分が釣れるまでの間、辛抱強く待っていられるか、だ。針の先に虫をひっかけて、わたしは勢いよく釣竿を振り上げた。そう、三平のように。するとすかさず横から警告が飛んだ。
「普通に垂らせばいいから! 危ないから!」
 すごすごと腕を下ろし、海面にポチョンと釣り糸を落とした。あのキラキラしたルアーってヤツも使わないんだな。想像していたのと違うなあ、とか思いながら。
 15分ほど待ったが、魚がかかった感覚がない。オヤ? と思うと波で揺れただけだったりする。「来たらわかるから」と、言われたけれど。しびれを切らしてアミエビを海に少しだけ撒いてみた。来ない。さらに、撒いてみても、来ない。さらに・・・ 。
「あんまり撒きすぎると、魚がお腹いっぱいになって来なくなるよ!」
 また、怒られてしまった。そんな間にも、友だちはシマアジとイシダイを釣り上げた。
 結局、その日のわたしは釣果ナシ。家に帰ってから、友だちから譲ってもらったイシダイをオーブンで焼きながら、やっぱり釣りは向いてないな・・・そんな風に肩を落としたのだった。
 今、わたしには4歳の息子がいる。保育園でザリガニ釣りを覚えてから、公園でちょうどいい枝を見つけるとそれにタコ糸をつけて水たまりに垂らすようになった。風呂でもおもちゃの釣竿を湯船に垂らして遊んでいる。わたしのように乱暴に振り上げたりしない。まるでずっと前から釣りを知っていたような、優雅な姿だ。もちろん、水たまりにもお湯の中にも魚はいない。だから釣れることはない。
「コレデ、オサカナツルンダ」
 と言って楽しそうに待っている。
 そういえば。息子がお腹にいる時、胎動がまるで魚が泳いでいるみたいだな、と思ったことがあった。クニュクニュと腹の中で何かが動く。しかもそれは突然やってくる。そう、まるで魚が釣れる時のように。
 もしかしたら、今なら楽しめるかもしれない。水面に釣り糸を垂らして、いつまでも、いつまでも魚が来るのを待っていられるかもしれない。

しまおまほ◎漫画家・イラストレーター/1978年生まれ。多摩美術大学芸術学部卒。1997年「女子高生ゴリコ」でデビュー。著書 に「まほちゃんの家」「ガーフレンド」「マイ・リトル・世田谷」など。

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