私はカジキマグロの船に一週間、朝から晩まで、ずーっとひたすら、ただ乗っていたことがある。
 どうしてまた…と思うかもしれないが、それはカジキが釣れないからなのだ。私は早朝から、おべんとうを持って船に乗って、ずっと何もしないのである。
 どうしてか? というと、私はTVのドキュメンタリー番組のレポーターになって、そのカジキ漁の名人の船にのって、釣れたところを見る役、だったからだ。
 なにしろ名人なんだから、すぐにでも釣れるはずだったのだが、釣れないからしかたない。朝暗いうちから出かけて、夕暮れになって空しく帰ってくる。
 今、考えると「あれはいい経験だったな」と思う。なにしろ1日、大海原で何もしないのだ。波が高い時もあるし、ほんとにおだやかな時もある。
 船にはカメラマン、録音の人、ディレクター、と私が乗っている。が、いちばん肝心のカジキがかかった時、に手が空いているのは私なので、最後の肝心の瞬間突然に、私は船の操縦を任されることになってしまう。
 「オレがごあへって言ったら、このコレをぐーっと、こっちに押してな、ごあへだぞ」と漁師さんは、うむを云わさずに、私に船と漁の運命をまかしたのだった。
 あん時はびっくりした。超緊張した。結局漁は大成功、ものすごい大物を釣り上げたし、つまりごあへもうまいこといったのだ。
 一週間、行動を伴にしてたから、釣れた瞬間はみんなでほんとうに大喜びだった。
 カジキマグロが、一番高値で売れるのは、実は中くらいな大きさなのだか、漁師さんはやっぱり「大物」が釣れたのを、すごく喜んでいた。これも、私の人生観に大きく影響を与えた経験だった。
 取材していた一週間は、毎日、美味しい魚のゴチソーだったはずだ。カジキもホンマグロも、シイラもブダイも、食べたけれども、どういうわけか、味の記憶はほとんどない。
 カジキ釣りには、生きているカツオがエサになるから、そのものすごく活きのいい、 っていうか生きてるカツオも食べたはずだが、その味の記憶もないのだ。
 ドキュメンタリーの放映があった日に、友達から電話がかかってきた「南くん、まるっきり海の男みたいに映ってたぞ」一週間、沖縄の海上にいた私は、確かにまっ黒で、逞しい海人に見える。ほんとはなにもしてなかったんだけどネ。

ごあへ=“go ahead" 進行する/やれっ!/前進!




みなみしんぼう◎イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。/1947年東京生まれ。美学校・木村恒久教場、赤瀬川原平に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経て、フリー。主な著書に『ぼくのコドモ時間』『笑う茶碗』(共にちくま文庫)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人伝説』(文春文庫)、『おじいさんになったね』(海竜社)、『くろちゃんとツマと私』(東京書籍)、『ねこはい』(角川文庫)、『私のイラストレーション史』(亜紀書房)など。
Copyright (C) 2019 NAKAJIMASUISAN Co., Ltd.