こんにちは。中島水産の社長の中島明です。今回、「おさかなぶっく」創刊にあたり、普段「おさかな」についていろいろ考えていることをお話するために、慣れないペンをとることになりました。さて、第1回は、中島水産と江戸前寿司の深いかかわりについて、お話しましょう。
 中島水産は、昭和29年に営業を開始しておりますが、早いうち
から「江戸前寿司」 にかかわりを持っています。それは常に江戸前寿司の革新的大衆化への挑戦の連続でした。中島家の人々は、「さかなや」であるにもかかわらず、江戸前寿司について並々ならぬ関心をもっていました。初代与七は、昭和40年に「十円ずし」を始めて大成功させました。百貨店やスーパーにカウンターを設け、一個十円の寿司を職人が握り、文字通り、「立ち食い」形態をとり、大ヒットさせたのです。
 二代目良一(現相談役)は、手軽に食べられる価格帯の江戸前寿司のパック販売をスタートさせました。スーパー内や路面に店舗を出し、現在の「ちよだ鮨」の基礎を作っています。昭和50年には、コストダウンを図るために、当時では珍しい炊飯工場を立ち上げ、大きな成果をあげました。叔父秀人(現ちよだ鮨社長)は、昭和63年に鮮魚売場に寿司売場を併設する「さかなやの寿司」を始めます。当時開発されたばかりの寿司ロボットに着目し、バイキング形式で好きなものを好きな数だけ選べる形式をとり、さらに1個50円という驚異的な安さで川崎駅ビルに店舗をスタートさせ、作るそばから売り切れていく大ヒットになります。今では当たり前になっている、鮮魚売場の横にある寿司売場の基礎を作り上げたのです。
 このように、中島家の人々は、江戸前寿司の大衆化の大きな貢献をしているのです。中島水産の挑戦は、まだまだ続きます。平成5年に、なんと熱帯のシンガポールで江戸前寿司の大ブームを作ってしまったのです。シンガポール高島屋開店にあたり、出店要請を受けました。熱帯地域で刺身、寿司が売れるはずがないと思っていましたが、たっての要望であり、お受けして準備を開始しました。開店半年前から二人の社員を常駐させ、私も毎月出張し、打合わせを開始しました。
 まず、売価ですが、マクドナルドのセット物の売価を参考にして、一人前4〜5ドルと仮定し、基本商品を1個50セント(約35円)と決めました。日本で50円、シンガポールで35円。絶望感が漂いました。しかし、落ち込んではいられません。
 ネタは日本からの輸入では35円で売れないので、現地では生食で食べない魚を含めていろいろなものを試食しました。また、米はカリフォルニア米に決定し、書き尽くせないほどの苦労をして、開店の日を迎えました。開店と同時に商品が売り切れました。作っても作っても間に合いません。「うれしい」よりも「困った」という方が本音になるくらい大ヒットになりました。しかも、お客様のほとんどは現地の方です。
 寿司を見たこともない人々が行列をつくり、何十分も待って買い求めてくれているのです。その年の大晦日には、とうとう一日で3万個の寿司を売り切りました。ギネス物です。その後、マレーシア、台湾にも進出し、同じく江戸前寿司の定着を成し遂げました。
 国内でも、平成6年に京都高島屋に出店し、江戸前寿司の大ブームを作りました。
 伝統的なもの大切にする土地柄、赤身は食べず、白身中心の食文化の中に、おいしいまぐろを中心に新しい食文化を提案したところ、京都でも製造が間に合わないほどの大ヒットをしました。国内各地、アジア各国でいろいろな経験をしたところが中島水産の強みになっています。さらに経験を積み重ねることに よって、新たな「さかな文化」の提案をし続けたいと願っています。

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