平成五年八月三十一日の京都新聞の裏面のテレビ欄の半分を使い、「東京築地、中島水産がやって来た!!」という高島屋さん大広告が始まりです。
 翌日、京都高島屋の地下食品売場の大改装で当社が鮮魚売場の運営を開始し、十時の開店と同時に対応しきれない程のお客様で押しつぶされそうになりました。
 皆さんご存じのように、京都は伝統を大切にする街で、新しい形態の商売で評価を受けることが大変難しいところです。京都への出店を決意したわけではありますが、口の肥えているお客様に対して、「東京流のさかなの販売方法は評価を受けるだろうか?」心配でした。
 しかし、同じ日本人です。「同じ環境であれば同じように評価されるはずだ。」と思い、出店の半年前から社員が京都に住みつき、京都のお客様の「おさかな」に対する嗜好を徹底的に研究しました。結論は 京都の人々は、「おさかな」が大好きで しかし、盆地の京都であるが故に独特な「おさかな文化」が形成されてきたことがわかりました。おいしい鯖を鮮度がいい状態で若狭から運ぶために「鯖街道」と名づけられた道があることや劣悪な環境でも生き続けられる「鱧(ハモ)」というさかなが、夏の京都には欠くことのできない商材になったのも、京都の方々の研究心からだと確信しました。
 そこで、東京の「おさかな文化」の中心である「まぐろ」を京都の方々に是非評価していただこう、と考えました。しかし、京都の市場にも、大阪の市場にも、私共が考えているレベルの生の「ほんまぐろ」はありませんでした。
 そこで、東京から「まぐろ」を運んだところ初日から飛ぶように売れ、今では東京と同じくらいの比率で「まぐろ」が売れるようになりました。「まぐろ」は売れない、と言われていた、福岡、神戸、岡山でも、同様に「まぐろ」のおいしさを紹介することができました。
 反対に、西の「おさかな文化」を東京に導入できるよう仕掛けています。東京では高級品の「ふぐ」は、現在八十人を越えるふぐ調理師を育成し、着実に評価を受けています。来夏は、どうにか「鱧」を定着させたいと考えています。
 日本各地、東南アジアに出店して感じていることは、「おさかな文化」には国境はない。良い条件で「おさかな」を提供できれば、必ず評価を受けるはずです。
 私共は、「おさかな文化」の交流をこれからも推進していきます。
イラスト=深津千鶴

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