建築家なのか、漁師なのか、自分でもわからないという友人に誘われるまま、釣りについていった。二十万円で買った中古車のトランクには常時釣り竿が五〇本も入っていて、一週間のうち多い時は五日も海に出ているその人は、先祖が海賊だったと真顔でいう。

 その浅黒い顔と鯛のようなつぶらな目を見ていると、海との結びつきが人一倍強いのは痛いほどにわかる。その彼が冬のあいだ熱中しているのは、浦賀でのカワハギ釣りだ。

絵=さかなクン
潮の流れの速い東京湾のくびれにいるカワハギは身がよく締まり、肝が肥大している。自らも包丁を握る彼のねらいは、小ぶりの体から出てくる想像を越えた大きさの肝である
 以前、彼は某女優の誕生日パーティの席に自分で釣って来た五〇枚ものカワハギを持参し私はそれを捌く手伝いをしたことがあった。薄造りや肝和えも絶品だったが、舌がもっとも感激に打ち震えたのは、腹から取り出したばかりの生の肝をそのままわさび醤油で食べた時だった。ウニを思わせる感触ながら、香りに癖がなく、あん肝やフォアグラほどしつこくもなく、舌の上でとろける時に仄かな甘味を感じるところはタラの白子にも似ていて、一つ食べれば、もう一つ欲しくなり、最後の一つを食べてしまうと、さらに飢餓感が募る。地球上に数多ある食物の中で、もっとも美味いのはカワハギの肝である、と宣言する食通もいるほどである。その時は、肝を溶いた醤油を一本三万円もするワインで伸ばした肝入りワインなどすすったりしたが、生で食べるに越したことはなかった。
 肝付きのカワハギは魚屋ではなかなか手に入れられず、あっても高価だ。早起きして、釣り船に乗り、一〇枚でも釣り上げたら、それだけで充分、元は取れる。何よりもあの肝をわさび醤油で食べられることを思えば、怠惰な私でも、スキーウエアを着込み、真冬の東京湾に出向きたいと思った次第。アサリの剥き身でおちょぼ口のカワハギを引っかけるのだが、獲物は餌を盗み取るのが上手く、餌の付け替えで忙しいったらなかった。お陰で初心者ながら、十八枚の収穫を上げ、十八個の肝を独り占めした。


島田雅彦◎作家。1961年生まれ。『美しい魂』出版延期。4月『フランシスコ・X』講談社より刊行予定。
さかなクン◎テレビ東京『TVチャンピオン』全国魚通選手権5連覇達成

Copyright (C) 2002 NAKAJIMASUISAN Co., Ltd.