子供の頃から鮹が好きだった。
 子供の頃、なぜか食膳に鮹が供されることが多く、頻繁に食べているうちに好物になったのだと思う。大阪は鮹を食べることが多かったのだろうか。わからない。
 鮹といっても現今あるような刺身なんて洒落たものではなく酢蛸、それもできすぎているものが多かったように思う。それがうまかった。また食べてみたいと思うがいま食べてもうまいと思うかどうかわからない。
 大阪にいるうちはそんなこんなで鮹ばかり食べていた。昭和五十八年にパンクロッカーになってもまだ鮹を食べていた。当時、自分は特に理由はないが頭をつるつるに剃っていた。
 冬。革ジャンパーをきて立呑み屋に入っていき、頭をぺしゃぺしゃ叩いて、「なににしょうかなー」と独り言、それからおばはんに、「オレ、鮹ちょうだい」と言ったら、おばはんが、ぶっ、と吹きだし、周辺で呑んでいた労務者が、どっと笑った。誰かが、「共食いやないか」と言った。自分も笑った。
 そんなこともあって鮹が好きだった。鮹という言葉にはたわけ者という意味もある。ますます共食いである。
 正月の節料理に鮹は入ってんの?おそらく一般的には入っていないだろう。ぜひとも入れて欲しいものである。正月の節料理では棒鱈が好きだった。これも節料理に入れるのは関西だけでしょうか、芋と煮た芋棒なんてお料理の方が知られているのかも知れない。
 子供の頃から事に凝る性質で棒鱈ばかり偏食した。しかし正月だからうるさく叱られない、怪ッ体な子ォやで、と笑われるだけ。
 棒鱈には、でくの坊、ぼんくらという大坂語の意味もあって、これも共食い。昭和六十二年には「木偶の棒陀羅」という曲をレコーディングして売りだしたがちっとも売れなかった。まったく鮹であり棒鱈あり我が事ながら呆れ果ててものも言えない。ほんと棒鱈。


絵=伊藤秀男

町田康◎1962年大阪生まれ。81年アルバム『メシ喰うな』でレコードデビュー。82年映画『爆裂都市』でスクリーンデビュー。96年「くっすん大黒」を『文學界』に発表。同作品で、第7回ドゥマゴ文学賞、第19回野間文芸新人賞受賞。00年「きれぎれ」で第123回芥川賞受賞。01年詩集『土間の四八滝』で第9回萩原朔太郎賞受賞。02年「権現の踊り子」で第28回川端康成文学賞を受賞。著書多数。http://www.machidakou.com/

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