あがたもりお◎1948年北海道・留萌市生まれ。1972年「赤色エレジー」にて歌手デビュー。20世紀の大衆文化を彷彿とさせる幻想的で架空感に満ちた作品世界を音楽、映画を中心に展開している。今年は、ライブ、CD制作、「函館港イルミナシオン映画祭」10年目と忙しくなりそう。


 自分の本名は森雄なのだが、それをペンネームで「森魚」としたのは、どうも僕は魚というものに親しみがあるかららしい。
 北海道の留萌に生まれ、以降、小樽、青森、函館と父の仕事の関係で港湾都市を転々としたからだろうか。岸壁にたゆたう波のきらめきや、海面を辷っていったり、停泊したりしている船影や汽笛、潮くさい魚くさい町全体が漂っているような、実は海にこそ係留されているのかもしれない港の陸の島に育った。そういう自分は、ちょっと、荒唐無稽な20世紀港町文化をたっぷりと身に染み込ませて育った人間なのかもしれない。けれども、津軽と蝦夷(えぞ)を結んだ海峡の轟(とどろき)をこそ凌駕(りょうが)せんとした函館連絡船が運航していた頃の近代文明の稚(いと)けない躍動のみを決して懐かしがっているつもりではないのだが。
 小学校二年の時、小樽の入船小学校にて、当時、担任だった佐藤敬子先生が、ディズニー映画の「海底二万哩」を僕らに教えてくれた。それを観たいとおもった。でも、今考えるとそれを観に連れていってくれた父こそは、海洋冒険映画であるその「海底二万哩」を観たかったのだろう。
 「老人と海」「太陽がいっぱい」「太陽のとどかぬ世界」……人と海の関わりを描いた映画を何本も観に連れていってもらった。
 アレクサンダー大王の昔から、人々は海中の不思議を探ろうとし、深海の珍しい魚介や珊瑚や真珠とたわむれ、それらを巡り、覇(は)を競いあいすらした。なぜ人類は、謎だらけの海をもう一つの内なる宇宙として認識しようとするのだろう。
 20世紀の中頃に、北の港町を転々として育った僕が、食卓に魚が一品でもあれば、それだけでも充分幸せなのは当然のことだろうか。ご飯に、みそ汁、そして漬物。それに、鮭の切り身や、キンキやハタハタの煮付、サンマでもアジでも焼いたもの、あるいはイカの刺身といったものが、一、ニ品でもあれば、それだけで身も心も充分に充たされる食卓である。
 もし、僕が港町に育たなかったとしても、波のさざめきや汽笛の音を懐かしむのだろうか。魚が食卓にあることに充たされるであろうか。折につけ、僕が本当に魚であった頃の懐かしい記憶を探ろうとしていることには確かに違いないのだが。


撮影:金子亜矢子
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