たにむらしほ◎作家。 1962年北海道札幌市生まれ。出版社勤務を経て、90年に『結婚しないかもしれない症候群』を発表。以降、処女小説『アクアリウムの鯨』をはじめ数多くの小説を手掛け、03年大河小説『海猫』で第10回島清恋愛文学賞を受賞。近著に十年振りの書き下ろし長篇小説『アイ・アム・ア・ウーマン』と短編小説集『黒い天使になりたい』。最新刊は『空色水色』

魚は何でも好きである。四国でシーラという謎めいた魚を生で食べたときや、西伊豆の寿司屋でゲホウという名の深海魚が出されたときなどは少々身構えたが、基本的には魚貝類は、どんな姿形でも、ちょっと食べてみたくなる。
 そんな私なのだが、ことホタテに関しては、正直に言うなら、長い間、その存在を軽んじていたところがあった。 貝の形が、何しろ軽薄に見えていた。頑固になかなか口をあけない貝が多い中で、ホタテは炙るとすぐにぱかっと大きな口を開けてしまうし、食べてみても、その身もどうも大味なんだよな、という気がしていた。つまり、何か挑んでみる対象ではなかったのである。
 祖母の影響もあった。戦後満州から引き揚げてきた祖母は、函館に住んでいた。私たちが幼い頃函館を訪ねると、決まって寿司を贅沢にふるまってくれた。私たちがまだ幼い頃は、出前の寿司が、それはもう大量にどんと運ばれて来る。
「こんなに食べられないよ」と、私が言うと、
「寿司を食べる時にそういうケチなことを言うんじゃありませんよ」と叱られた。
 私たちが寿司屋に通える年になると、お茶の飲み方をじっと見られた。
「お茶なんかがぶがぶ飲みませんよ。お茶でお腹が一杯になってしまうでしょ」と、また叱られたものだった。
 貝と言えば、身の引き締まったこりこりしたアワビであり、イカといえばあめ色がかったまださばいたばかりの甘い身であり、ウニは明礬なんかにつかっておらず新鮮な海水の味で、そうした物が祖母にとっての、函館らしい寿司ねたでもあった。
 ホタテは、函館のすぐ近くの八雲町で、とてもいいものが捕れると聞いたのは、私が大人になってからだ。さるフレンチのレストランで、シンプルなのにひじょうに美味しいソテーが出され、私のホタテ感が激変し、今では生でもよく食べるのだが、きっと祖母はついに、うまいホタテを食べぬうちに逝ってしまったのに違いない。何でもいいから、大人になって、祖母ともう一度寿司を食べたかったという気持ちなのである。

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