大人になったら勝手にそうなると思っていたことがいくつかある。緊張せずに電話をかけるとか足の指が長くなるとか小さなことで、今の状態は子どもだからと思っていた。だけど、足の指が短いままなように(友だちの子どもの指が長いのを見て、個体差なんだと気がついた)、大人になったのにできないままでがっかりしていることも多い。
 「魚をきれいに食べる」というのは、その筆頭に挙げてもいい。子どものころは、魚の味自体も好きじゃなかったし、なにより食べるのが難しいので苦手だった。でも、大人になればおいしくなって、食べるのもうまくなると思っていた。
 幸い、だんだんと味は好きになった。だけど、食べ方はへたなまま、どこまで食べていいかさえわからない。気づいてみれば当然のことで、手の作業なのだから訓練というか練習の積み重ねでできるようになることなのだった。年齢ではなく。となると、だれかに教えてもらわなければならないのだけど、教えるというのは根気がいることだ。両親は、魚を食べたがらないわたしにいらいらしながら教えるよりは、最初から身だけを取る、またはメニューに入れないほうを選んだ。
 もちろんいい年をして、親のせいにばかりしてもいられず、簡単なものなら料理もできるようになったし人に驚かれない程度にはつくろって食べることもできるようになった。アジは、子どもの頃から好きな数少ない魚だったし、比較的身を取るのも料理もしやすいので、わたしにとっては「親切で優しい魚」だ。見た目もかわいいし。梅干しを入れて煮たのが、人にも出せる料理になった。
 だけど、うまく食べられないコンプレックスはそのままで、女性誌でモテる条件を聞かれたとき「魚をきれいに食べられる人」と答えてしまった。男でも女でも、お皿の上のきれいな骨を見ると、なぜか色気があると思ってしまう。
illustration=須川まきこ
しばさきともか◎1973年、大阪生まれ。2000年のデビュー作「きょうのできごと」が行定勲監督で映画化され話題に。著書は「次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?」「青空感傷ツアー」「ショートカット」「フルタイムライフ」「いつか、僕らの途中で」。9月末に最新刊「その街の今は」発売。


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