魚、と聞いてまず頭に思い浮かぶのは釣堀、だろうか。昔住んでいた杉並区の家から歩いて、確か10分くらいのところの4面ほどの釣堀。おやじに連れられて毎週日曜に行っていた記憶がある。けっこう人は多かったなあ。子供のくせに飽きなかったのか、と言われれば、確かに飽きていたかもしれない。でもいっちょ前に竿を一本渡されて、子供なりに楽しんでいた記憶もある。釣れる確率はたいして高くなくて、何も釣れずに、ただ時間を損したような気になって終えるときもあった。どちらにしても帰りがけに、そこで鯉だの鮒だの金魚だのを買って帰る、というのがルーティーンだった。おやじとしては、釣ることよりもそっちのほうが楽しみだったような気がする。ときどき、えらく鱗の大きな鯉がいて、それはちょっと高くて、そんなものを買ったときにはけっこううきうきした。うちの実家は地主だったこともあり、敷地はけっこう広く、池には橋がかかっていた。などと言うと、ものすごいお屋敷を想像されるかもしれないが、そんなたいそうなものではない。子供だから大きく見えただけで、たぶん、全長でも10メートルはなかっただろう。僕は釣堀で買ってきた魚をそこに逃がす瞬間が一番好きで、その役を進んでかって出ていた。
小さなビニール袋から「わが意を得たり」とばかりに池に泳ぎ出る瞬間の魚たちに、生命のエネルギーを感じていたのかもしれない。ところでおやじは早産で出てきたせいか、生まれつき体が弱く、僕が中学の時には結核で1年以上会社を休んでいたし、高校の頃には胃潰瘍を悪化させ、もう、これでだめだろう、というところまでいった。ベッドの都合で、ようやく入院、そして手術、というその日、おやじを送り出し、ふと池を見てみると、魚たちが全員浮いていた。つまり全員が死んでいた。猫の仕業でも、もちろん毒を入れたやつがいたわけでもなかった。いまだに僕は魚たちがおやじの身代わりになった、と思っている。誰がなんと言おうとそう思っている。その後、おやじは無事に戻ってきて、もう二度と魚を飼う事はなかった。今や87歳であるおやじには絶対に魚がついている、と思う。どんなに魚を食べても、魚はおやじの味方だ。幸せな人である。
まつとうやまさたか◎音楽プロデューサー、モータージャーナリスト。1951年東京生まれ。4歳からピアノを習い、14歳頃にバンド活動を、20歳頃からプロのスタジオプレイヤー活動を開始。その後アレンジャー、プロデューサーとして松任谷由実をはじめ、多くのアーティストの作品に携わる。「CAR GRAPHIC TV」のキャスターを務めるなど、モータージャーナリストとしての顔も持つ。「CAR GRAPHIC」「MEN’S CLUB」「EDGE」等、エッセイ連載中。ラジオ番組「三菱UFJニコス presents松任谷正隆 DEAR PARTNER」(TOKYO FM、FM大阪)放送中。
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