をキレイに食べる女性が好きです。僕がとても下手なので、女性にやさしく食べ方を教えてもらったり、「それじゃだめよ、仕方ないわねぇ、」などと面倒くさがられながらも、魚の身をほぐしてもらうのも好きなのですが、そんな僕の魚の世話よりも、女性が箸を巧みにつかいながら淡々と魚と向かい合い、時々手先を舐めながら、キレイに骨にしてゆく姿を眺めている事がたまらないのです。
生最初の「魚をキレイに食べる女性」は母でした。北海道出身で魚が大好きな彼女は、これが美味しいのよ!と言いながら、豪快にいろいろな魚を鍋に放り込み、クマが鮭にしゃぶりつくように野性的に、しかしながらまるで精密機械のごとく細かく魚を食しました。食べることのできる部分は全て食べつくしてしまうため、お皿の上には美しい残骸しか残りません。魚を食べているときの母は、もはや母ではなく、美しくて強いひとりの女でした。 ここまでの人生でもそれなりに多くの女性に出会ってきましたが、なぜだか魚をキレイに食べられない人(魚が嫌いな人は論外)とは、深い仲にはなれませんでした。
を調理して食べるという行為はけっこう面倒です。なぜなら、ほとんどの場合、魚は肉と違ってその全身を目の前にさらけ出しているので、当然魚の顔や目を見ることになります。もしかすると悲しい、もしかするとキリっと覚悟に満ちた魚の表情を見ながら、それでも冷徹に刃を刺し入れ、グチャっと内蔵をえぐり、皮をひんむかなければ始まりません。現代都市に住んでいる我々にとって、手とキッチンを生き血に染めながら、ザクザクと魚を捌く場面は、とても貴重な生々しい命との関わりなのです。
然ですが僕の妻はとても美しく魚を食べます。彼女の小さくて細い手先と、繊細な箸さばきによって、僕も魚のように捌かれていくのでしょうが、そんな女じゃないと、信頼して命を預けることなんてできないのです。
なかやまだいすけ◎アーティスト、クリエイティブ・ディレクター。1968年生まれ。武蔵野美術大学中退後、武器をモチーフにしたインスタレーション、メディアにとらわれない斬新な表現力が国内外のアート界から注目される。97年より6年間NYに滞在、98年台北(台湾)、2000年光州(韓国)、リヨン(フランス)ビエンナーレ日本代表作家。近年では、ファッションショーや舞台美術、商品や店舗の企画、地域デザインなど様々なジャンルでのクリエーションを手掛ける。東北芸術工科大学教授。
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