アンコウを思うと切なくなるのは出会ったタイミングが悪かったからです。
 中島水産さんのような専門店ではなく、スーパーマーケットの鮮魚売場に勤めていた私にとって、アンコウとは切身と肝が盛り付けられてパック詰めになった鍋セットでした。しかし、その冬1度だけ入荷された鍋セットではないアンコウは、海底をすくって地球の一部が連れてこられてしまったような姿で、平べったい顔を上に向けて大きな口で情けなく笑いながら「あれ?何でこんなところに来ちゃったんだろう?」とでも言っているような物悲しさがありました。
 この頃の私は上司に怒られてばかりで、ひと気のない冷凍室に逃げ込んで泣くのが日課でした。シモヤケの両頬はカユイしカッコ悪いし上司は恐ろしいし、とても落ち込んでいた時期だったため、私がアンコウに抱いた切なさはひとしおだったのだと思います。そして、その後もシモヤケが治ることはなく、売場に鍋セットが並ばなくなる季節に、魚屋さんになる夢をあきらめて退職しました。アンコウの思い出は、寒い冬の私の挫折物語が背景にあります。
 しかし、この度、アンコウについて調べ、写真を何枚も見ているうちに気が付きました。アンコウは目をクルクル動かし、頭上の突起を振り回して食べ物を探しながら海底を満喫しています。大きな口は、生物の少ない深海において、ようやく見つけた食べ物を確実に捕らえるための頼もしい口です。アンコウは私が思っていたような悲しげな魚ではなく、実に辛抱強く活発で愛らしい魚だったのです。  そういえば、私だってそれほど悪い冬ではなかったかもしれません。パートさんが「冷えるでしょ」と言って私の長靴にタカの爪を入れてくれたお陰で足先だけはヒリヒリするくらい温かかったし、退職する日には、私が使っていた包丁を「餞別だ」と言って上司が丁寧に包んでくれました。これからはあの包丁を見るたびに、アンコウを思い出すのかな。
かとうみやこ◎1976年東京都生まれ。東京水産大学(現、東京海洋大学)卒業後、食品量販店の鮮魚部に入社。その後、水産団体に勤務しながらセツ・モードセミナーでイラストを学ぶ。現在は主婦をしながら本の挿絵などを描いています。特技はアジの3枚おろし。美味しい物を食べながらお酒を飲むのが幸せです。
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