子供の頃、晩酌に大きな茹で蟹をワシワシと喰う父親がうらやましかった。あんまりそんな顔をしていたからかしらん、脚の一、二本のおすそ分けに預かったものの、うらやましいのは、オレンジ色の内子とみその方であった。
 その頃(戦後十数年の)東京で蟹と云えば渡蟹。後年、北海道の毛蟹を知り、さらに後にズワイ蟹やタラバ蟹を知るが、いや、それとて、缶詰の方が先だったかも知れない。
 長じて自分も晩酌をするようになれば、うらやましかった渡蟹をワシワシとやったが、直に食べるところは甲羅の内だけ、脚や爪には手をつけなくなる(もっとも、これらは丁寧にほぐして炒飯にするのだが)。
 やがて、酒と料理への興味が嵩じ、様々な土地で蟹を食し、最期は香港通いにいき着いた。それは、一九七九年から香港返還までの十数年間である。年に一、二度、多い時は三、四回と香港に通い続けた。もっともはじめのうちは一お上りさんに過ぎなかったが、通ううちに、こと料理と店に関しては、かなりの香港通になっていた。その香港での蟹と云えば上海蟹(大間蟹)が有名。いわゆる、日本のモクズ蟹の仲間の淡水蟹。ただし、大間蟹は晩秋に限るから、香港通いの後半は、先ず秋の恒例行事となった。
 香港では上海蟹も良いが、そのみそとスープ入りの「蟹粉小籠包」も旨い。料理なら「芙蓉蟹」かな。これに用いる蟹は、日本では見かけない、厚く固い甲羅の蟹で、これをブツ切りにして、みそも一緒に炒め、煮込み、卵白でまとめあげる料理である。この料理、日本でも食べられるが、どこでも渡蟹でやる。ならば、私にも出来そうだと挑戦してみれば、火力の不足を除けば、まあまあの再現が可能な「芙蓉青蟹」となった。
 ところで、セコガニもしくはセイコガニとは、ズワイ蟹の雌のことだと聞くが、これは安くて旨い。茹でるだけなら私もやるが、これの甲羅揚げは絶品である。その季節に銀座の天ぷら屋T亭を覗けばありつける。
やぶきのぶひこ◎1944年、東京生まれ。桑沢デザイン研究所抹籍後、グラフィック・デザイナー、イラストレーターに。『ニューミュージック・マガジン』(69年創刊)のA.D.、表紙絵の仕事を皮切りに、以降、装幀、雑誌表紙、広告、LP・CD等を手掛ける。他に随筆、画文も担う。主な著書、作品集に『矢吹申彦風景図鑑』、『東京面白倶楽部』、『猫づくし』他、近著に『おとこ料理讀本』、『東京の100横丁』がある。
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