魚、と聞くとまず、川辺に敷かれた畳の感触が蘇る。そして、その感触に引っ張られるようにして、頭まで、骨まで全て食べることが楽しみだったあの甘い味が思い出される。
 幼少期、私は魚を好まない子どもだった。しょうゆで際立つ淡白さや付け合せの大根おろしは「大人」の味だと思っていたし、骨をうまく取ることすらできなかった。だけど、両親が連れて行ってくれたある場所が、私を魚好きに変えた。
 ヤナ。意味もわからないまま、音だけで覚えた場所。
 河川に設置された食事処は、壁がなかった。外だ! と思ったことを覚えている。簗とは川を見ながら川魚を食べられる場所だと知ったのはずいぶん後のことだった。テーブルには、弁で仕切られた重箱がでんと置かれおり、そこには四種類の鮎料理が収まっていた。
 魚はおいしくない、と信じ切っていた当時の私は、その四種類の鮎料理、特に甘露煮に心を奪われた。味が淡白でない、甘い、何より骨を取るという面倒くささがない! 「大人」の好む魚のしゃらくささが、鮎の甘露煮にはひとつも見当たらなかったのだ。
 私は、座布団の上で正座をしながら、大人になったらヤナで鮎の甘露煮をたらふく食べるんだ、と誓った。四種類の鮎が入っている重箱の中で甘露煮が占める面積はとても少なく、成長期の私の腹は全く満足しなかった。
 あっという間に空になった重箱の底はぴかぴか光り、初めて自ら魚を欲する私の顔を照らしてくれていた。
 だけど、大人になった私は、いま、東京でひとり暮らしをしている。
 簗を設置できるような川辺も、たとえ嫌いな魚でも残さずに食べろと言ってくれるような家族も、ここにはもう、見当たらない。甘露煮が好きだなんてまるで子どものようで、なかなか言う機会もなくなった。
 また必ず行けると思っていたあの夢のような川辺が、様々な意味で想像よりもずっと遠いところにあることを、大人になった今、私はやっと気が付いたのである。
あさいりょう◎1989年5月生まれ、岐阜県出身。2009年「桐島、部活やめるってよ」で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。11年「チア男子!!」で第3回高校生が選ぶ天竜文学賞、13年「何者」で第148回直木賞、14年「世界地図の下書き」で第29回坪田譲治文学賞を受賞。最新作は「武道館」(文藝春秋)。
撮影=今津聡子
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