「関あじ」などという高級な魚を食べたのは、大人になってからのこと。周りの大人たちが色めき立っているので、そんなに大変なことなのか、と神妙に口にしたことを覚えている。だが味のほうは正直記憶にない。あのときよりもっと大人になった今、ようやくそのありがたさがわかるようになったが、それをよくわかっていない若者に食べさせるのは「関あじ」に本当に申し訳ないことだ。そして初めて「関あじ」を口にしたことをろくに覚えていない私も本当に申し訳ないことです。
 美味しいお酒と「関あじ」なんて最高なのだろう。お酒が飲めない私は、そんな身震いするような世界を未だに味わったことがない。そういう、ありがたくて珍しいものにはたいていそれに合うお酒が必須で、お酒なくしてその本当の美味しさは成立しないのだ、と下戸の私はどこか卑屈だ。お酒を飲まないので、もりもりばくばく食べてしまう。ちびちび飲みながらお料理になかなか箸をつけない酒飲みの分も食べてやる。
 魚とお酒は文句なく大人の組み合わせだが、もうひとつ、魚を食べ尽くすというのも大人のたしなみではないだろうか。私はお酒が飲めない分、こちらの方面で大人の意気込みを発揮する。この場合、お刺身や切り身のような親切な魚ではなく、丸ごと煮たり焼いたりしたものがいい。いかに食べ尽くすか。単に平らげればいいというものではなく、魚の身も骨も余すところなく味わい尽くした痕跡が皿の上に繰り広げられていること。横っ腹に切れ目を入れて開き、背骨からパタパタと身を剥がしていく。魚を開くのは楽しい。箸だけでなく時には指も使いながら微に入り細にわたりちゅぱちゅぱ味わう。骨や頭が食べられるものはもちろんいただく。究極は目ん玉だ。「ここが一番美味しいとこなのに」などと酒飲みにそそのかされ、なにくそと挑戦をかってでるが、冷静に味わってもやはり身のほうが美味しい。どうもそれ以来、私は目玉好きと思われているようで、「ほら、ほら目玉」と必ず薦められる。
 だから目玉を薦められない「関あじ」は落ちついて味わえてすごくいい。60才までに日本酒と一緒に楽しめるようにと、酒類目下絶賛訓練中である。

こばやしさとみ◎女優・エッセイスト/1965年、東京生まれ。俳優。主な出演作に、テレビドラマ「やっぱり猫が好き」「かもめ食堂」「パンとスープとネコ日和」、映画「かもめ食堂」「めがね」「プール」、舞台「あの大鴉さえも」「24番地の桜の園」などがある。また著作として「散歩」「ていだん」など多数。現在、「NHK俳句」第一週目に出演中。


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