あれはまだ小学生になる直前の頃だったと思う。人と接することが苦手な私は、家に閉じこもってひとりで絵を描くことが好きだった。なんの絵かというと、魚の絵であった。
実際の魚ではない。魚類図鑑にのっているさまざまな魚を描くのである。私が持っていたのは、「講談社の学習大図鑑B魚と貝の図鑑」(昭和33年発行)というもので、写真図版ではなく、すべての魚が写実的な絵で表わされていた。もうボロボロになったが、それは私の本棚に今もまだ大事におさまっている。
図鑑の各ページに並んだ魚の絵の下には、説明書きがある。それを読みながら、まだ実際には目にしたことのないさまざまな魚たちへと想像力を膨らませた。
魚類図鑑を見ていて驚かされることがいろいろあった。そのひとつに「真鯛」の項がある。というのも、真鯛の全長は1メートルと記されていたからである。真鯛なるものが、そんな巨大だとは知らなかった。「そうか、近所の魚屋に並ぶ鯛はみんな偽物なんだ、スゴイぞ、本物は」と、巨大魚としての真鯛ならぬ「魔鯛」を妄想し興奮していた。
ちなみに、真鯛の全長が1メートルという解説が正しかったのかどうか、今もって私にはわからない。謎のままにしておきたいという気持ちがずっと続いているのかもしれない。
私は、わら半紙を8等分くらいにざっくりと切って作った紙片に魚の絵を描いた。そしてそれらの絵を壁に貼って並べ、ひとりで悦にいるという「儀式」もやっていた。
もし私が長じて生物学者にでもなっていたら、描いた魚の絵を並べるという幼少期のこうした遊びは、水族館作りの予行演習だったということにでもなるのだろう。しかし私は生物学者ではなく美術家になった。だから、あの絵を並べるという私の性癖は、美術館での個展における作品展示を先取りしていたということになる。
学者か美術家かの選択は運命としか言いようがない。しかし科学と芸術双方の根っこに、同じ一冊の本があったとするなら、それはそれでちょっとおもしろいエピソードである。
ところで、昔話から打って変わって、最近の話をすると、ワタクシ、我流ではあるが寿司をにぎる趣味を持った。もちろん鯛もにぎる。その時は、例の思い出深い魚類図鑑のことなど、すっかり忘れている。おとなになれば、魚より肴ということなのかもしれない。