白い波頭の奥に、定規で引いたいたような地平線が走っている。遮ぎるもののない圧倒的な海面舞台。都会の細々とした家並みをなぎ倒すような大波の唸り声。
 海という言葉を見かけると、私は子供のときの青函連絡船から見た光景がすぐ浮かんでくる。札幌に住む祖母を、母親と二人で訪ねたときの海の迫力が忘れられないのだ。  祖母の家での食事がまた、忘れられない。見たことのない魚の刺身、煮付け、大きな切り身のシャケ。魚は祖母の好物なのだ。
「玄関に木彫りの熊があったでしょ、熊が咥えているのがシャケよ」
 祖母の言うように、何頭かの木彫りの熊は、みんな飛び跳ねる魚を咥えていた。
 先日、黒磯のアンティークの店を覗いたら、この木彫りの熊が沢山展示されてありビックリした。若い店主が好きなのだそうだ。彼はサーモンが大好物だと笑った。海なし県の人間は刺身が好きになるらしい。
 そういえば、祖父の詩人・萩原朔太郎も、海なしの群馬県生まれだ。毎年家族で行く海は新潟の鯨波海岸だった。その時の思い出の詩が第一詩集『月に吠える』に残されている。

  赤松の林をこえて、
  くらきおほなみはとほく光つてゐた、
  このさびしき越後の海岸、
  しばしはなにを祈るこころぞ、
  ひとり夕餉ををはりて、
  海水旅館の居間に灯を點ず。
               くぢら浪海岸にて

  萩原朔太郎『月に吠える』(一九一七)より 海水旅舘

 数年前、その海岸に詩碑が建立された。私は除幕式に呼ばれて挨拶をした。式典が終わってからの宴会に大盛りの刺身がテーブルを占拠していて、サーモンが美味しそうに光っていた。嬉しそうな祖母の顔が浮かんできた。私は笑いたくなった。祖父と祖母は離婚したのに、私の頭の中では案外仲良く魚を食べているからである。
 9年前から、私は群馬県の前橋文学館の仕事を始めた。今年前橋は40度近くの酷暑になった。とても老体には無理だと両毛線で那須に向かった。もちろん、車窓からは山しか見えない。しかし、私の頭の中のスクリーンには、青函連絡船からの雄大な海が広がって、気持ちも子供に戻って涼しくなる。そして、黒磯に着くと、何故かまた、シャケを咥えた木彫りの熊の店に足が向かってしまうのだ。

萩原朔美《100年の定点観測 前橋・太田写真館》、2012-2016年、世田谷美術館蔵

萩原朔太郎と妹ユキ/撮影 太田清吉(1914年)

朔太郎の孫・萩原朔美と朔太郎の妹ユキの孫・三浦柳/撮影 太田清吉の孫・太田康一(2012年)

朔太郎のひ孫・萩原友と朔太郎の妹ユキのひ孫・三浦ももこ/撮影 太田清吉のひ孫・太田奈々絵(2016年)

はぎわらさくみ◎作家/1946年東京生まれ。母は小説家・萩原葉子。祖父は詩人・萩原朔太郎。寺山修司の「演劇実験室・天井桟敷」で俳優・演出家を務める。「定点観測」をテーマに、映像、版画、写真、アーティストブックなどを手掛ける。雑誌『ビックリハウス』を榎本了壱と創刊し、初代編集長を務めた。前橋文学館特別館長、多摩美術大学名誉教授、金沢美術工芸大学名誉客員教授。近年はスマートフォンの登場が写真制作に拍車をかける。2025年、満を持して詩作の活動を開始。「文学館から文学環へ」を標榜。 WEBサイト

 
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