お陰様で、中島水産は、創業100周年を迎えることができました。私の祖父・與七が富山から兄弟3人で出てきて、築地で修業を始めて、25歳の時に「中與商店」として起業してから、太平洋戦争での空白期間はありましたが100年を経過しました。当初は、軍隊や新聞社などへ魚を納める商売をしておりました。
 戦後、1951年に與七は、父・良一と一緒に「中島水産」として会社を再興させました。当初は戦前と同じ業務用納めの商売でしたが、1954年に西武百貨店さんからお声をかけていただき、食品売場で小売り店舗を運営することになり、水産物小売を開始いたしました。その後、スーパーマーケットの勃興期にコンセ(売場借り)として多店化を進めました。今では当たり前の冷蔵ケースを使った事前包装・セルフセレクションの販売方法をいち早く取り入れたのが父・良一でした。しかし、大手スーパーマーケットが直営化に舵を切ったことにより、店数が激減し、経営危機を迎えた訳ですが、どうにか乗り切り、1982年町田東急百貨店に出店したことにより、デパ地下と称されるブームに乗ることができ、1986年高島屋日本橋店に出店したことにより、確固たる地位を築くことができました。
 その後、1988年に機械で握った寿司をバイキング形式で販売して爆発的な人気を博しました。次に、1993年には高島屋さんが海外進出するに当たってシンガポールでバイキング寿司の販売をして欲しいとの要望にお応えして出店し、海外事業をスタートさせました。現在では、七ヶ国100店舗ほど、売上高100億円ほど、従業員1000人ほどの業容になっております。その次に、1994年に高島屋京都店からお声をかけていただき出店してラップ寿司の製造が間に合わないほどの大成功を収めることができました。弊社は、水産物小売の商売の中で常に新しいジャンルを開拓することで、ここまで生き抜いてきております。
 最近でも、「恵方巻」を関東に持ち込んでマグロをたっぷり入れて海鮮恵方巻のブームを作りました。昨年は、資源が枯渇していて復活した「国産数の子」をいち早く爆発的に販売して好評を得ることができました。未だ評価が定まっていない「畜養本マグロ」の拡販に取り組みました。関東ではあまりお目にかからない「剣先イカ」「サワラ」「イサキ」等を定着させました。
 現在は、水産資源の減少を食い止めることが難しそうですから、「美味しい魚料理」をいかに食卓に乗せていただけるか! という課題に取り組んでおります。常に新しい課題に取り組んで、150年、200年と、お客様に美味しいお魚を召し上がっていただける企業としてあり続けたいと努力して参ります。

左から創業者の中島與七、中島良一、中島明


中島水産100年の歩み
1925 中島與七、中與商店創業
1927 他社を合併し足立商店創立
與七の長男・良一誕生
1935 旧築地市場開場
1941 太平洋戦争はじまる
1945 終戦
1951 社名を中島水産(株)に変更
西武百貨店池袋店内に出店
1956 良一の長男・明誕生
1958 西武ストア(現西友)に出店(スーパー第1号店)
1969 良一が代表取締役社長に就任
1982 町田東急百貨店に出店
1986 高島屋日本橋店に出店
1993 シンガポール高島屋に出店(海外第1号店)
1994 京都高島屋に出店(関西地区第1号店)
明が代表取締役社長に就任
1995 マレーシア、台湾に出店
1997 高松市コトデンそごうに出店(四国地区第1号店)
福岡三越に出店(九州地区第1号店)
2003 香港へ出店
2014 ベトナムに出店
2018 タイに出店
2025 創業100周年

オープン当日、大勢のお客様でにぎわう横浜・上大岡店(1996年10月1日)


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